小旅行

 少し遠いところにある美術館に行こうということになった。水戸、箱根、千葉・・・いろいろ案は出たが結局葉山(神奈川県立近代美術館)。予想通り。水戸とかちょっと遠すぎる。やってるの凄い楽しそうなんだけど・・・。建物も何かカッコ良いし。
 逗子集合。現地集合。もちろん待ち合わせの時間には遅れる。寝坊してとかならわかるけど、普通に出発予定の2時間前とかに起きてるにも拘らず、遅刻する自分は大分重症かもしれない。
 葉山の美術館に行くには逗子からバスに乗らなければいけない。海岸周り。秋の海とか好き。途中でバスに乗ってきた赤ちゃんの髪の毛がとってもパンクな感じになってて可愛かった。重力に逆らいまくる髪の毛。どうしてあんなんになっちゃったんだろ。
 今は「作家たちの贈り物」展。戦後の日本人の作品を展示してる。僕は李禹煥の作品が見たかった。点や線の作品を描く人だ。今回は6作品くらい展示されてた。この人の作品に「時間」を感じる。点がだんだん無くなっていったり、線が徐々に霞んでいったり。時間が止まることは絶対になくて、常に流れている。その連続性を描いてる感じがする。時間を見ることができる作品だと思う。点や線にただならぬ緊張感があって、それは李禹煥の集中力を想像させる。全ての感覚を、筆を通してその一点に籠めたかのような。ただひとつの点に、ただ一本の線に僕は魅せられた。
 李禹煥の作品の表現はとても単純だ。単純である事、シンプルである事は一見簡単なように思えるけど、実はとても難しいことなのではないか。複雑にやるよりも単純にやることのほうが大変な気がする。何故かと言われたら全く上手く説明できないのがもどかしいが。ここからは自分でも全くわけのわからない事を少し書いてみると、シンプルであることはどこか恥ずかしい気がするのだ。ウソがつけないし。騙せないし。逃げ場が無い。だからこそシンプルであるには膨大なエネルギーが要求されるように思う。同時にシンプルであることは膨大なエネルギー、影響力を持つ。何故ならシンプルだから。普遍的だから。核を感じやすい。これはちょっと違うかなー。わからないなー。「核を感じやすい」という表現がまず微妙だな。とりあえず何かを感じやすい気がする、シンプルであるという事は。関係ないような気もするけど、例えばサッカーはとてもシンプルなスポーツだ。ボールとゴールの枠があればとりあえずできる。だから世界で愛されてるのだろう。そして一番シンプルな点の取り方は、多分ワンタッチでボールをつないでいくことだと思う。ボールは疲れないし。このやり方は一番シンプルだけど難しい。ワンタッチでつなぐにはみんなが流動的に動かないといけないし、基礎がしっかりしてないといけないから。騙せないのだ。これができれば、それは一番美しいサッカーだ。絶好調の時のバルセロナのサッカーはまさに美しい。バルサの人達はみんな世界一流のプレーヤーだけど、ワンタッチでつないでいるときに使っているのはほとんどが足の内側を使うインサイドパス。サッカーを始めるときに一番最初に習うパス。つまり基本の基本。それを当たり前にできるからアノ人達は世界一流なんだな、きっと。当たり前のことを当たり前にやるのはとても難しいことだ。そしてそれができれば普遍的に美しい。これを言いたかった、多分。これは生き方とか、ファッションとか、本とか、音楽とか全てに言える気がする。そして李禹煥の作品にも同じような事を感じたのだ。
 サッカーの話になっちゃったけど、美術館は楽しかった。すぐ近くに海があって、気持ちよい場所にあるし。バスに乗ってどこかにいくというのも久しぶりでよかった。
 逗子から鎌倉に行き、この前と同じコース。ブラジルカフェ⇒散策⇒カレー屋。懲りない。ブラジルの店ではついにフェジョアーダを食す。上手かった。ブラジル人は土曜日がフェジョアーダの日みたいです。カレー屋はやっぱりご飯が多くて、謎の緑の食べ物はやっぱり美味しかった。アレはピクルスじゃないかと思ったけど、友達に絶対違うといわれたからきっと違うのだろう。店の外に「最近、お客様からご飯の量が多すぎると聞かされます。・・・」と張り紙がしてあるのが面白かった。確かにご飯の量は多いが、あの多さには何か物語があるような気がする。ちょっと泣ける感じのね。
 友達の情報によると宮崎あおいNANA2の出演を断ったらしい。松田龍平も断ったみたい。そこで誰が代役を務めれば良いかという話になり、さとう珠緒羽賀研二という結論になった。ずいぶん思い切った結論だけど、さとう珠緒なんてかなりはまり役じゃないかと思うね。さとう珠緒羽賀研二主演だったらとりあえずみんな見に行くでしょ・・・。見に行かないですね・・・。
 いつもどおり、下らない会話ばかりだったが楽しかった。ポストパンクに一時期はまった人がこんなに近くにいるなんてラッキーだ。