ピークピークピーク


 朝、目覚めると「ここはどこだー!」と思う。
 朝ごはんをしっかり食べたのは久しぶり。おばちゃん家の昨日の晩御飯の残りのシチューが出てくるところとか、良かったなー。次の日が美味いよ、カレーもシチューも。
 とにかくいろいろ観たり体験したりで、濃い時間を過ごした。午前中の目玉は地中美術館。入館する際に「建物自体も安藤忠雄さんの作品ですので、壁にも手を触れないようにしてください」と告げられる。こんなこと言われたら、壁に触りたくなる。一緒に行った人と「流石にここはまだ触っていいよねー?」とか言いながら、進んでいく。何だか迷路みたいで楽しい。3人の人の作品があったけど、ジェームズ・タレルが凄かった。僕の眼は大いに戸惑ったと同時に大いに喜んだ。不思議で堪らない。「オープン・フィールド」という作品があって、それはもう何回でも体験してみたい青白い世界だ。青白い世界の中に足を踏み入れると奥行きの感覚が無くなる。永遠に向こうまで続いていそうだけど、どうもそうではないらしい。じゃあどうなってるんだー!全然上手く説明できないから、実際に体験してもらいたい。絶対半笑いになるから。
 午前中の予定を終えて、とってものんびりした空間でお昼ご飯。とても体に良さそうなおむすびとケーキを食べた。美味しい。たまにはこういうのが良い。いつもこういうのだと物足りないかもしれないけど。
 午後は家プロジェクトと直島スタンダードの作品。直島スタンダードの作品のひとつにデイヴィッド・シルヴィアンの音楽作品がある。直島の音で作った74分間の楽曲、コレを無料貸し出ししてくれるiPodで聴きながらいろいろ観たり入ったり。曲は結構怖くて、気持ち悪くて、明るくなくて良かった。昔、歯医者さんだった建物を使った大竹伸朗の作品(一番左の写真)は、歯医者さんだった面影を一切残さない豪快なもので気持ちよかった。遠慮の無く力ずくでやりきった感じが清々しい。この人は廃材やゴミなど拾ったもので作品を作っていく人。作品から感じられた強度はこんなところにも関係してるのかもしれない。エネルギーが溢れてしまっているような物や人に、憧れるときもある。常に憧れてるわけじゃないんだけど。
 家プロジェクトでゾクゾクさせられたのは南寺。これまた安藤忠雄ジェームズ・タレルの作品。真っ暗な中でイスに座りずっと前を見続ける。とにかく見続ける。するとだんだんぼんやりとした光が見えてくるという作品。建物の中は本当に真っ暗。あまりにも暗くて、自分が眼を開けているのかどうかさえ疑いたくなる。見えないものを見ようとすることには、恐怖と不安が伴う。外側が真っ暗なとき、それは内側を見るときか。とにかくどこかを見続ける。そして何となくぼんやり光が見えてきたときの嬉しさと安心感。光の方へ歩いていき、建物から出るために振り返る。また真っ暗。安心しすぎるとダメだ。僕は建物から出るのになかなか苦労した。とにかくいろいろと考えをめぐらせる事ができる作品だった。真っ暗な世界への興味は尽きない。
 宿に荷物を取りに行き、港へ向かう。おばちゃんにしっかりお別れできなかったのがちょっと残念だった。でもこのゆるさみたいのが魅力なのかもしれない。歩きながら港に向かう途中、小学生とすれ違う。こんにちわ。僕の前を歩いていた小学生が、僕のすぐ後ろを歩いていた子に向かって、「その大人の人の弟子のなったのかー」なんて言って笑ってる。もう「大人の人」なのか、なんてふと思う。自分には「大人の人」な感覚が全く無いのだけれど。専ら「何だかフワフワしてしまってる人」な感覚で。タンポポの種みたいにフワフワどこへ行くのか分からずって感じだ。
 港に着くと夕日が見える。楽しかった2日間はアッと言う間に終わった。