新潟に行ってきたぜ!!!

 この夏、最大のイベント、新潟ツアー。越後妻有アートトリエンナーレ、行ってきました。2泊3日。
 ジェームス・タレルの作品に宿泊させてもらったり、いろいろ貴重な体験が出来て幸せでした。とても多くの作品を見たので、個別の作品の感想は割愛。全体的な感想を。
 「芸術は爆発だ」っぽく「アートは接着剤だ」と思ったり。接着剤って何だよという感じですが・・・。ひとつの作品が様々なつながりを生むっていう。作品がキッカケになって土地とのつながり、人とのつながり、文化とのつながり、自分のうちにある原風景とのつながり、作品に宿る時間とのつながり、過去の記憶とのつながり、未来とのつながり・・・、様々なものがつながってるという事を実感できた。アートはその中心にある。
 多くの作品が目で見るだけでなく五感で感じる作品であり、参加する作品であり、調和する作品。調和とはその土地と、文化と、人と調和すること。地元の人が「自分たちの越後妻有アートトリエンナーレなんだ」という感覚を持っていたように感じる。それがとても良いなと思った。地震や豪雪の辛い経験を乗り越える力に確実になっているような気がする。最初は芸術祭に参加することにあまり乗り気でなかった人ももちろんいたようだが、アーティストと地元の人が徐々に歩み寄って調和して芸術祭が盛り上がっていく。芸術祭に「強度」があるように感じたのは、このような経緯にも要因があるのでは。地域に根付いているものは力強い。ポジティブなパワーを生むアート。地域を元気にするアート。今までの自分の中には存在しなかった新しいアートの在り方を感じることが出来たと思う。同時に芸術作品が持つ力のようなものを再確認。これは音楽とかにも感じること。
 作品は様々な場所に点在している。作品から作品へ歩く間もまた魅力的だった。綺麗な花が咲いていたり、野菜を水で冷やしていたり。幼稚園の頃まで僕は田舎に住んでいたので、とても懐かしい感じがした。自分の住んでいたところはお米じゃなくてお茶だったけど。僕はとても活発な子だった(はず)。茶畑を横切って幼稚園まで近道をして、幼稚園では今では出来ない連続逆上がりでグルングルン、カブトムシを捕まえてそいつにミニカーを牽かせて楽しんで、SLが来たら思いっきり手を振って、家では病院でもらった4日分の液体の薬を一気飲みするような豪快な子だった。それが今では中学の同級生に「引き篭もり」と言われる始末。あ〜。いつからこんな風になってしまったのでしょうか。都会の空気がそうさせたのかどうかわかりませんが、とにかくアノ感じが懐かしかった。こういうことを思い出させてくれるのも芸術祭のひとつの魅力だと思う。過去とのつながり。
 いくつかの作品には写真が使われていた。どれも素晴らしい写真で強く印象に残っている。写っている人の真摯な感じが伝わってくる写真が良かった。自分とは全く関係ない人が写っているのに、物凄く何かを感じる。なんか訴えてくる。生き様を見せ付けられたような。何故だろう。全く上手く説明できないけど、なんか不思議な体験だった。
 ひとつだけ作品についての感想を。クリスチャン・ボルタンスキーの廃校を利用した作品。学校にあった記憶を呼び起こす。とにかく無を感じさせる空間。写真の入っていない額縁が延々とあったり。真っ黒い部屋があったり。しかしその無が強烈にそこにあったものを思い起こさせる。これは凄かった。1時間くらい余裕で居る事が出来たと思う。自分の思い出もいつの間にか呼び起こされている。衝撃的な作品でした。心臓の鼓動のような音が2階で流れていて、3階の一番奥の部屋に昔学校で使われていたようなものを並べてある空間があったのだけれど、その空間に足を踏み入れたときに2階の心臓の鼓動の音がより鮮明に聞えたような気がして、「うわぁ〜」って思いゾクゾクした。意図されたものか、たまたまそう聞えたように思っただけなのか定かではないけどとにかくびっくり。もう一回行きたい作品のひとつ。
 こんな感じで団体行動は相変わらず苦手だったけど、貴重な時間を過ごせた。誘ってくれた友達に感謝。写真を1枚も撮らなかったのは何となく撮る気がしなかったから。カメラマンになっちゃいそうだったから。